こんにちは!

九十九一の代表のゆうりです。

 

九十九一では、エネルギーのシェアリングサービスと題して、無限とも言える自然の生命エネルギーのシェアリングを提供しています。

生命エネルギーは、色々な種類がありますが、他と競争のようなことには代表には興味がなく、

九十九一では、ただただ人体に飛び抜けて影響のある優れたエネルギーをシェアしています。

祈りのワーク“、”あめつちの氣光“、をお楽しみください(^^)。

 

 

 

蛇之倉七尾山

 

さて、2019年 令和元年 5月14日 火曜日に人生初となる”蛇之倉七尾山”へ行って参りました。

 

蛇之倉は、奈良県にあり、地上最上の神縁の霊山である、そうです。

 

修験道の開祖とされる ”役行者” さんが開山されたそうです。

 

 

 

修験節律根本道場総本山
大峰蛇之倉七尾山
おおみねじゃのくらななおさん
奈良県吉野郡天川村洞川
古来から大蛇が棲息し、人に危害を加えると言われ、入る人が無かったので蛇の倉と呼ばれ、八大龍王の一神、晃成龍神をともなった由縁の霊山。本尊 真宇王大権現(マオウダイゴンゲン)。御真言に妙空現諸仏即通力(ミョウクウゲンショブツソクツウリキ)。今も山は行者信者によって護持されている。戸開けは大峰山と同じであり5月3日。戸閉は9月23日となっている。女人禁制の山上ヶ岳に対して女性の方の一日修行・登山参拝が多い。登山参拝時間は往復で大体3時間程度。参拝は階段が多く、途中から山道が有り、胎内くぐり等の行場があります。修行の門及びご神仏は撮影禁止です。

 

蛇之倉には、奥之院があり、孔雀門の奥の洞窟があります。そこで3ヶ月間ほど役行者が修行されていたそうです。

 

役行者さんについては、僕は歴史家ではないのでネットに落ちている情報くらいしか知りえないです。

 

歴史で習う+αの範囲では、

 

役行者さんが誕生されたのは今から1300年前の飛鳥時代

世の中は混乱していて、当時の天皇家の中にあっても敵対勢力を呪い殺す(呪詛)ような闘争が繰り広げられていたそうです。

 

そんな乱れた世の中を救い、人々を救うために、役行者さんは兎に角あちこちを周り修行されたそうです。

 

世の中の平和のため、世の中の人々の苦しみを消すために、役行者が全て引き受けるような祈りに一生涯を捧げたそうです。

 

つまり、自己犠牲による、祈りと云うところでしょうか。

 

役行者は修験道の開祖とも言い伝えられていますが、修験道とは日本古来の自然信仰に仏教と神道が合わさったものだそうです。

 

インドから流れてきた仏教と、日本古来の神道を一つに統合されたのが役行者さんだそうです。

 

よって、仏教の位階が高い方、神道の方々は理解されている方ほど修験道を大切にされるのだそうです。

役行者が他界して200年後に現れたとされる真言宗の開祖である弘法大師空海(774年~835年)さんは、役行者の祈りの人生の生き方に自然と行き着いたようです。

 

また時を同じくした平安時代の僧であった日本の天台宗の開祖であり、伝教大師とされる最澄(766/767年 – 822年)さんも弘法大師空海さんとどうやら同じような人生のルートだったようですね。つまり、この大峯山蛇之倉七尾山で修行されたようです。

 

 

 

この七尾山ですが、そもそも地図に載っていません。住所の記載がないです。それは、外国の方が来て地上最上の神縁の場所を穢されることがないように守っているからだそうです。また、むやみやたらに行こうとしても容易には行けないようです。縁が繋がることで初めて行けるようです。

 

私は、お世話になっている大阪のマミさんからお誘いいただき参加させてもらいました。

マミさんは、昨年、三度目の正直でようやっと登れたそうです。

僕と、僕のところで学ばれているクライアントさんにも声かけさせてもらい一緒に行きました。

 

当日は、大阪から早朝に車で向かいました。道中で道に迷ったり、そして予定していた道が、途中で封鎖されており、引き返して迂回してたどり着きました。結果予定より1時間到着が遅くなりました。違う場所から時間を合わせて現地合流予定であったもう1組のご夫婦は先に到着されて、一足先に山に入ってました。

 

登拝手続き後、麓の本堂から階段や九十九折りの坂道を40-50分程登り、途中休憩しながら、孔雀門前の広場に到着しました。

 

ここは霊山だけあって、業を落としながら登っていく、そうです。登る最中には、どこからともなく聞こえてくる “六根清浄” を聞きながら、下丹田に力を入れた状態で登ります。

 

普段から磁場もエネルギー体も肉体も綺麗にしているのですが、登る途中で次第に肩と首が痛くなりました。痛みが出る理由を知らない人にとってこのような痛みを感じた時は、戸惑ったり、驚いたりされますが、僕はメカニズムを心得ていますので、逆に感謝の氣持ちが自然に生まれてきました。 

 

孔雀門のある広場には、奥之院の岩窟があります。説明によると人が一人通れる位の垂直の洞穴を鎖梯子を使って20m程登った先に御神体があるそうです。

ですが、4年前(2015年ですね)から入堂禁止となったようです。

禁止された翌年(2016年)は登拝自体も禁止され、入れたのは麓の本堂だけだったそうです。

そして、翌々年(2017年)になり、孔雀門の前まで登拝許可が出たそうです。

 

この広場には蛇之倉の若い男性の山先達がいまして、イケメンさんでしたが、到着した僕たちにお茶をふるってくれました。お茶はとても美味しくて、業を落とし綺麗になった体中の細胞が喜ぶような感覚を感じました。

 

僕たちはお茶をいただき小休憩の後、小雨の中、山先達の方に一通り説明を聞いてから、奥之院入口の孔雀門前で祝詞をあげていただきました。

 

勤行の4人が横に並び前で先達の方が祝詞をあげる形でした。

最初始めた時に、喝(通常は活の意味だとは思いますが、浮かんできた感じは”且つ”でした)という漢字とともに威圧感がおでこのあたりに感じまして(^^)

最中では、僕は6割型の時間は半目を開けていましたが、僕たちがいる全体の空間の色がほんわりですが幾つにも変わったり、結構揺れも強く、横の二人は小さく体が時計回りに回ったり前後に動いたりしていました。階段の上に立っていたので落っこちないように下丹田に力を入れるだけでなく足裏全体にも力を入れていたらいつしか集中していました。色々な情報も入ってきてました。

色々な観点でも楽しませていただきました。

こんな体験があったことをネットに書くと、私も、俺も、みたいな更なる能力が欲しい、力が欲しい、スキルが欲しいなどのスピ系な人たちが群がる可能性がありますが、それも時代の一時期のことでしょう。現地に着けるかどうか、ついても登れるかどうか、また登りきれるかどうかは、ご縁と日頃の精進の結果ですからね。そこは自然の流れに任せつつも、自身のお役目を全うできるように黙々とできることを進めてまいります。

 

一言で言うと、さすがの場所でした。行って良かったです。

 

今後、毎年の勤行になるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

登拝の後は、天川村で昼食です。

 

ここの湯豆腐美味かったです😋

 

そういえば伊勢神宮の界隈にある豆腐屋さんも美味かったなというのを思い出しました。

 

 

 

 

 

 

余談

 

登拝の日は5月14日でした。

 

実は、この日に登るということは、昨年の冬至の時期に既に決めていました。

 

当時、12月時点では、まだいつ行くかも未定でした。

 

しかも登拝の日程が決まったのは4月5日です。

 

さらに、同じパーティーには、東京から2人、滋賀から1人、大阪から1人、京都方面から2人でしたので、皆さんの予定を合わせた上での話です。

 

さらに、さらに、天空図からはこの日は余計なしがらみや軋轢が一切ない、ボイドタイムがない日でした。

 

大事な行いや為事をするには絶好の日和です。

 

ボイドタイムという時間帯は、「月が他の惑星と主要な角度をとらない時間」を指します。

 

ボイドは、英語表記では「VOID」です。

 

これは空、空白といった意味です。

この「空の時間」は、大事な決定は避けたほうがいいといわれています。

 

その理由は、人が月の影響を受けて、正しい判断ができなくなるからといったことがいわれています。

 

優れた政治家、国家元首、経営者、エリートたちは天空の影響も考慮して行動しているそうですね。